世界の建築家

斬新な日本の建築家 世界には様々な有名建築物がありますが近代では建築家の名前が代名詞となり建築物のステータスにもなっています。建築は絵画や彫刻と違って自ら空間の中に創造性を齎すことで出来上がるアートです。アーティスティックな建築では少し庶民的な価値観からかけ離れてしまい少し臆してしまいがちですが日本国内でも海外から高く評価を受けて注目を集めている建築家が多数存在している事はご存知でしょうか。日本人で有名な建築家では安藤忠雄氏や隈研吾氏や伊東豊雄氏などと名だたるメンバーが環境や用途に合わせて優れたパフォーマンスで空間を設計してその名を世界に轟かせています。又、余談ではありますが現代アーティストとして日本を代表する作家、デザイナーで知られる草間弥生氏はかぼちゃの水玉模様のトレードマークで世界中から称賛されている前衛の女王とも呼ばれるアーティストです。彼女の作品は絵画に留まらず彫刻やインスタレーションやパフォーマンス建築物と多岐にわたり世界を魅了しています。又、ファッションブランドであるルイヴィトンやユニクロともコラボレーションしておりドットをモチーフとした商品が人気を集めている事は記憶に新しいかもしれません。 記憶に残る建築家 世界の有名な建造物の中でも記憶に残る建築家は何といってもスペインを代表するアントニ・ガウディではないでしょうか。建築開始から130年の年月を超えても尚且つ建設が続いて工事が終わっていないサクラダ・ファミリアは世界的にも有名な観光スポットです。外観は細かい彫刻で覆われていますが内部は意外にも白を基調とした空間が広がり幻想的な静寂さを極めています。日本人の建築スタッフが参加している事でも話題になっています。最近、許可申請がされていないまま建築が進んでいたことが発覚して、サグラダ・ファミリアは違法建築というニュースとしても話題になりました。 近代に入ると様々な建築物がお目見えしますが中でもイギリスの女性建築家であるザハ・ハディドは日本のオリンピックの新国立競技場を設計に携わった事で一躍有名になりましたが残念ながら建築甲斐もなく死去されました。彼女は1950年にイラクで生まれて女性で初の建築界のノーベル賞でもあるプリツカー賞の受賞の経歴を持つ建築家です。作品の多くはパンチの効いた強烈的なデザインが特徴です。代表作は大英博物館グレート・コート、ロンドン市庁舎、香港理工大学やリバーサイド博物館などが有名です。その他、ノーマンフォスター、ジャンヌーヴェル、フランク・ゲーリーもいます。

なるほど!ザ★世界の建物

世界遺産として 世界を見渡すと有名な建物や世界遺産が数多くあります。そもそも世界遺産とは世界中で保護すべき状態維持に尽力を尽くすとユネスコが認定した自然や建造物のことです。古代の建造物で現存するもので有名なものと言えばやはりエジプトのギザのピラミッドを思い浮かべる事でしょう。2000年もの時を経て先人の技術と計り知れない労力と英知で私たちを現在でも魅了して止まない建造物と言えるでしょう。その他にもトルコのイスタンブールにあるアヤソフィアもAD547年に建てられた歴史ある博物館です。正教会、カトリック教会、イスラムモスクを経て現在に至っています。ところ変わってインドでは建造物のタージマハールが有名です。5代目の工皇帝が妻のお妃の為に建てたお墓が有名で観光スポットとして世界中から観光客が訪れています。2005年にユネスコの世界遺産に登録されたあのスペインのガウディ作のサグラダ・ファミリアも世界的に有名な建造物です。着工から100年以上も経過して尚且つ未完成という前代未聞の建築物です。完成までには300年をも要すると言われていました。弟子たちが試行錯誤して遂に完成にこぎつけて2026年には完成予定と発表されて世界中がわずか着工後150年で完成できると驚きを隠せませんでした。 欧州の際立つ建造物 欧州では数々の世界遺産や著名な建物がひしめきあっていますがイタリアも例外ではありません。イタリアルネッサンスの都であるフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は花のドォーモと呼ばれて手の込んだ建築技法やデザインは世界の教会の建築の原点とも評されています。又、ピサの斜塔と水平のロマネスク様式のドォーモも有名な観光スポットとして賑わっています。又、スペインのイベリア半島に残るアラブ文化を醸し出すアルハンブラ宮殿は池や噴水が華麗な佇まいを引き出しています。イギリスの有名出版社が選ぶ世界の建物は言わずと知れたビッグベン。ウェストミンスター宮殿やバッキンガム宮殿も名高い人気の観光スポットです。フランスではノルマンデー地方にある大天使ミカエルの島で有名なモンサンミッシェルです。元々は修道院でしたが百年戦争時代は砦として又、フランス革命時代は刑務所として暗いれ歴史的背景を持つ建築物です。モスクワの赤の広場で名の知れたボクロフスキー大聖堂もモスクワを代表的な鮮やかな色取りで注目を集めた建造物です。

日本家屋★長屋とは

長屋の歴史 江戸時代の町人の暮らしになくてはならないのが長屋でした。時代劇でも度々目にする町人の暮らしぶりは長屋で物語っています。1603年に幕藩体制が確立すると将軍や大名の主権により基本的には幕府と大名が所有していました。幕府の管轄では江戸や京都、大阪の都を支配して城下町が存在したのです。幕府が置かれた江戸の町では武士達が居住する土地が6割を占めて残りを町人やお寺の境内が占めていました。地主から土地を譲り受けて家屋を所有する家守や商人が長屋を建てて居住していました。しかし江戸時代の家屋は木材と紙で出来ていた為に火事が発生しやすく長屋などが密集していた為に火事と喧嘩は江戸の花と当時の人々は唱っていたのでした。この様に長屋は火事に頻繁にあうことからさほど重視されておらず簡素化されていたのでした。風呂は一般的には銭湯が主流でトイレも厠と言い共同便所でした。江戸農民の長屋は町民と比較すると違ってきました。大名達が地主に畑や土地を貸して地主がそこに長屋を建てて小作人達がそこに住み畑で収穫したものを年貢として納めて家賃変わりにしていました。この様に厳しい税負担飢饉などにより貧しい農民が都市部に流入してきて江戸中期ともなると人口が増え始めたのでした。町人も同じく地主に家賃を支払いそれが幕府に入るいわば税金の様な仕組みでしょう。この長屋には表長屋と裏長屋が存在しており小商人が表通りに面して建てられた長屋に住んで路地裏に建てられた裏長屋には江戸に流入した職人や貧しい農民達が暮らしていました。ここから日本における家主と店子の関係が始まり借家経営の原点と言えるでしょう。 長屋の構造 表長屋には裕福な小商人が居住している事から比較的日当たりも良く間取りも広く8畳と4畳の部屋に土間がありそこで荒物売りや小間物売り等の商売をして生計をたてている住人も多かったようです。それに比べて裏路地に建てられた裏長屋には割長屋が主流で部屋は6畳一間と梯子をかけた中二階や土間がありました。棟と垂直方向に部屋が仕切ってある棟割長屋があり屋根の棟の下に壁を作って背中合わせに部屋を設けた平屋建ての9尺2間と現在でいうと6畳一間というかなり狭い空間であったようです。居間が4畳位で土間が1畳半ほどで日当たりや風通しも悪く表長屋と比べると環境が悪かった様に思われます。家賃も現在にすると一万円位だったそうです。

日本家屋の歴史

日本風土ならでは 日本の家屋の歴史を振り返るとやはり日本の気候と風土や歴史的背景が土台となって今日に至ったと言えるでしょう。古代の日本では大きく分けて2つの形式があり地面を掘りそこに柱を建てて草で周りを囲うという竪穴式住居と地面からかなり高い所に床を張る高床式住居がメインでした。今日の和風住宅の原型が成立したのが鎌倉時代から室町時代と言われています。11世紀前後になると貴族達が寝殿造りという邸宅を構えて左右対称に建物を配置していました。政治の中心が貴族から武士に移ると仏教や影響や伝統文化の影響で書院造りなど武士の居宅に現在でも反映している座敷と呼ばれる接客室が成立して床の間や客間が作り出されました。又、庶民の住居も農村部地域でも白川郷の様な合唱造りなどの民家が作られました。その歴史を考慮すると切っても切れないのが木と紙の文化が日本家屋の形成を成し得ています。引き戸や畳、ふすまや土壁と言った日本古来の建築が現在迄息づいています。まさに自然素材の建築文化と言えるでしょう。竪穴式住居から木造建築まで文明、文化の進歩を遂げて寺社仏閣の建立を境に木造建築が日本の住居のベースとなってきました。日本の風土は高温多湿で自然素材である木や茅葺きで外部を仕上げ内部はイグサやわらなどで仕上げた自然界からの恩恵を受けた住居で奈良時代からほぼ現在の形状の住居が残っているのです。夏の暑い日は開口部を広くとった庇を木造建築の進化を遂げてお城や天守閣といった高層建築も職人の巧みな技で発展していきました。冬は少し寒さを感じますが日本人に適した住宅環境と言えるでしょう。 近代の日本家屋 明治時代になると近代化も進み西洋文化も取り入れられ財力に応じて住宅が作られました。東京を中心に防火の為に総土蔵造りの店が立ち並んでレトロな街並みが川越や高岡に名残を見せています。欧米から伝わった洋風建築に対して日本古来の伝統的様式を踏まえた和風建築が主流となってきました。大正時代以降は都市部の中流層が洋風に憧れて文化住宅なる建物が都市郊外に建てられました。現代では戦後、住宅難の質の低いバラックが大量に建設されて又、公団住宅など高度経済成長期に伴い合理的なライフスタイルがサラリーマンを主流に変化していきました。今日ではコンクリート住宅や輸入住宅も増え日本人の生活が多様化されて住環境もバラエティーに富んでいます。

新築チェックリスト

新築マンション編 新築を購入する際には必ず失敗しない為にも万全を期してチェックが必要となってきます。それはマンションにしろ、一戸建てにしろ、ハウスメーカーの建売りでも重要ポイントになります。物件を選ぶ際には周辺環境は勿論のこと実際にその地域に出向いてご市場調査も必要ですよね。ご近所の方に周辺環境なども伺ってサーチしてみては如何でしょうか。何せ大きな買い物ですから絶対に失敗は避けたいですよね。素人では分かりづらい目に見えない基礎や構造などでも念入りにチェックする事をお勧めします。独自でチェックリストを作成して一項目ごとに〇か×でチェック欄に書き込んでいくのも良いでしょう。実際にそこに住む事をイメージしながら×が多いと少し冷静になって初心に戻ると良いかもしれません。又、疑問に思った事はどんどん 業者に説明を求めましょう。マンション竣工時には内覧会というものがあります。これは竣工検査とも言われて契約した物件が文字通り設計通りに仕上がっているかの検査なのです。欠陥や汚れがあれば修繕を売主や施工会社に求めることが出来るので内覧会までには図面や資料を再確認してチェックが重要ポイントとなります。 新築戸建て編 一戸建ての内覧会の基本的なチェックリストの注意点は以下の通りです。まず室内では契約時の図面との相違点がないかどうか。床と壁が垂直であるかどうか。ドアや窓の開閉、収納やドアの開き具合や壁や窓の大きさや位置に相違がないか。壁のクロスに傷や汚れなどがないか。キッチンや洗面所、浴室の水回りは大丈夫か。通電機能コンセントなどのチェックなど。又、野外では外構部分がきっちりと仕上がっているか又は基礎や外壁にクラックなどひび割れや欠損がないかどうか。土地の境界線が明確か。隣の土地の所有者との共有があるかないかなどなど補修したら設備の不具合いがあればいつまで対応してくれるのかなどを細部に確認しましょう。暗い所を確認する際に床下や天井裏で懐中電灯や家や設備のサイズを測るメジャー又は水平器なども持参すると良いでしょう。思わぬ場所に傷や汚れが見つかる可能性があります。又、スマホやデジタルカメラなどで撮影しておくのも良いでしょう。内覧会でOKを出してしまうと売主は買主が納得したと思い物件を引き渡して残金を支払う羽目になります。夢のマイホームですから納得するまで十分な説明を受けましょう。

マイホームを建てる手順

イメージ作り マイホームを手に入れるには人生に一度か二度の大きな買い物と言っても過言ではありません。初めて購入するなら資金計画や住宅ローンについても学んでやることが山積みです。マンションを購入するか又はハウスメーカーの建売住宅を購入するか自分で設計してオリジナルな一戸建てを入手するかで手順は様々ですが家の構造や設備と言った専門分野も学ばなければいけないので素人が家を購入するとなるとハードルが高くなりつい、業者任せになりがちです。ですから家を購入する理由と目的を最初に明確にすることによりスムーズに対処できると思います。近年の住宅の最新技術や設備、内装、オシャレなインテリアを垣間見るとどんどんと夢は広がる事でしょう。まずは家族のライフスタイルを基準にどこでどのような暮らしをしたいのか生活拠点を都心にするか郊外にするのか便利なマンション生活を送るか子育てを優先して一戸建てで過ごすか譲れない条件や澄みたいエリアなどなどイメージ作りが大切になります。 モデルケース モデルケースとして戸建てを建築するとなるとまずは資金計画です。自己資金の把握と住宅ローンをいくらまで借入するのか返済期間は何歳まで返済するのか配偶者とローンを組むかで返済は変わります。一般的に団体信用生命保険がセットされているので安心ですが無理なく返済できるかを総合的に算出しましょう。住みたいエリアを決めて具体的に土地探しを始め住みたい地域の不動産会社や施工会社を決めて相談しましょう。ハウスメーカーは大手ならではの安心感と実績があります。工務店は地域密着型で気軽に対応可能で融通がききます。又、設計事務所などではオリジナリティーを尊重して独自のデザインを重視してくれます。住宅展示場や実物の施工物件などを参考にしながらそれぞれの特徴を踏まえて慎重に決めましょう。施行会社が決まると敷地調査や地盤調査による土地の条件や形状、方位、高低差、道路の位置など周りの環境も重視されます。その他、電気、ガス、上下水道などの各種法的制限次に建物プランニングと設計です。具体案を家族で出し合いどんな理想の家を建てたいのかをイメージします。例えばリビングと間取りの位置や冬が暖かく夏は涼しい設計、天井が高く吹き抜けがあるなど。新居でどんな暮らしをしたいのかを明確にする事で施行会社とのやり取りもスムーズにプランニング出来ます。

北の大地★北海道とは

アイヌ民族の歴史 北海道の歴史の紐を解くとその昔、約2万年前に遡りシベリアから人類が北海道に渡来したとされます。氷河期が過ぎると本州からも人々が渡来して1万4千年前の数多くの石器や墓石が発掘されました。北海道内で最も古い遺跡は千歳市にある祝海三角山遺跡や嶋木遺跡などが見つかっています。気候が寒い為に稲作に適していないので縄文時代から漁や狩猟をしていたアイヌ民族が独特の文化を形成しました。北海道はその昔、蝦夷地と呼ばれて13世紀頃から江戸時代にかけて先住民のアイヌ民族が定住していました。アイヌとは人間という意味らしく人々は集落単位で生活を営んでいました。住居もチセといい屋根も壁も茅が使用されていました。15世紀頃には交易や争いが頻繁に起こり複数の集落がまとまり17世紀頃には首長なる人物が広い地域を統合しました。狩猟や農耕、漁猟で生計してサケを主食として粟やキビを栽培していました。明治2年には新政府が蝦夷地を北海道と改名して明治7年には屯田兵制度を設置して北海道の開拓に着手したのでしかし明治政府の開拓政策や同化政策により固有の文化を持つアイヌ民族は激減したのでした。 現在の北海道民 寒さが厳しい北海道の開発は明治時代で五近畿七道の由来から蝦夷地から北海道に改称されました。北海道はオホーツクの3海に囲まれた島で中央部には天塩山地、北見山地、石狩山地、日高山脈が広がります。現在では人口500万人を超し面積も都道府県で一番大きく8万㎢を超えて日本国土の2割を占めておりオーストリアとほぼ同じ面積です。気候は全体的に低温で夏が短く冬が長く年平均気温は10℃程度です。日本海側は積雪量が多く太平洋側は比較的温暖で台風はめったに上陸しません。北海道では独自の支庁が存在して14エリアに分かれています。道庁所在地は札幌市の中央区で道内人口3割を占めています。北海道の7割が森林で占めており自然の宝庫と言えるでしょう。北海道の象徴で花はハマナス、鳥はタンチョウ、木はエゾ松となっています。基幹産業では十勝平野での畑作で獲れたジャガイモ。石狩、上川地方を中心とした稲作、釧路台地を中心とした酪農、函館、根室、釧路、オホーツク沿岸を中心とした漁業が盛んです。又、食品工業やパルプ製造なども苫小牧から札幌にかけて盛んです。近年では観光リゾート産業や情報産業分野でも急成長を遂げて経済効果を成しています。

日本の家屋北部と南部では

日本家屋の特徴 日本家屋の歴史は古代の日本人が地面に穴を掘り屋根を付けた簡素な住居が始まりやがて高床式へと木造建築技術が進み瓦の屋根が出来て現在の日本の住居へと変遷していきます。この日本の住宅の特徴は床があり床の上に座地そこで寝る床座の生活様式を特賞としています。弥生時代の平地住居から4世紀に入ると竪穴住居から高床住居が定着します。柱と梁で支える木造建築も進んで平安時代には寝殿造から書院造へと変遷していきます。奈良時代に現れた畳は現在でいうゴザの役割で権力者の証でもありました。平安時代に入ると貴族の家として寝殿造りに板の間に敷いて座布団や寝具に移り変わりました。 北海道と沖縄住居の特徴 北海道と九州沖縄地方の家屋の違いはやはり気候の違いが大きく影響してきます。北海道は年間を通して長期的な冬季と膨大に降り積もる降雪があるので木造建築ではすぐに倒壊してしまいます。明治時代に入ると北海道開拓が始まり住宅建築の歴史の変遷期を迎える事になりました。従来の工法は原住民であるアイヌ民族によるチセという建築物が主流でした。丸太柱に屋根が寄り棟による急こう配に取り付けられているものでした。家の藁葺きの素材は葦や笹、茅といった木材が使用されていました。マイナス40℃の零下の豪雪にも耐えて住宅内部は意外にも過ごし易い環境下であったようです。北海道開拓全盛期に試行錯誤の建築構造が移住民により新しい集落を築き伝統文化が生まれたのです。その当時洋風建築も本格的に入り札幌や函館のエリア中心に開拓本庁舎では質の高い銅板葺きという斬新な建物もあり一般家庭では板葺き屋根が使用されました。一方、沖縄地方は年間を通して暖かくさほど気温差がないことから快適に過ごし易い住環境ですが夏の時期は台風が多いことが難点です。沖縄では琉球王朝時代の歴史深い建物もあり国定重要文化財にもなっています。昔ながらの一般的な工法として台風の被害を最小限にするために軒は低めに高さは軒さと同じくらいに石垣や生垣の囲いがあります。台風発生時の防風にもなり熱い夏の時期を快適に暮らす効果があるようです。その一方では近年、白塗りの四角い家のRC構造のコンクリート造りや鉄骨造の建築が沖縄地方でよく見かけられます。ただ従来の沖縄古民家がなくなるのを防ぐ為に改装して外壁のみをコンクリートで補強する工法が見られる様になりました。